学長メッセージ
未来の当たり前を作る大学として

京都市立芸術大学は今年で145年歴史を重ねる、日本で最も長い歴史を持つ芸術系大学です。1880年の明治の初期に、幕末の混乱や遷都の中、衰退する京都の中で、人を育てることこそ復興の礎であるとの声のもと、小学校を市民自らが資産を出し合って作るなどの人材育成の流れの中、京都府画学校が設立され、1952年には戦後の復興期に京都市立音楽短期大学が誕生します。困難の中、苦しい時にこそ芸術文化が必要で、重要であるという京都市民の期待に応えるべく、本学は、創立以来、伝統文化を守りつつ、革新的な価値観の創造を担う学生等の芸術活動を支え、日本、世界の芸術文化を創造し、影響を与えてきたアーティスト達を数多く輩出してきました。
本学は、2023年10月京都の西の沓掛キャンパスから、京都駅東にある新しいキャンパスへと移転を果たしました。京都市民や企業?団体、そして差別を受けた複雑で重い歴史があるここ崇仁地域の人々、卒業生や本学関係者など、多くの人々のご理解とご支援で、この移転が実現いたしました。すでに1年半が経ち、少しずつ地域での活動や、大学内での活動もだいぶ増えてきて、馴染んでき始めていますが、豊かな大学街になるためにはまだまだ多大な時間と活動の積み重ねが必要です。が、この地に大学が来て良かったと思われる関係性の構築は始まっていると確信しています。
本学を建築設計をされた建築家たちは、テラスというコンセプトをベースに、可塑性があり、自由度のある空間、設備を実現して下さいました。素晴らしい音響のホールや練習場や様々な素材を加工できる工房、図書館などの空間に加え、充実した制作空間が用意されていますが、可塑性のある空間を独特の特性ある空間に変えていくのは、これからここで「創造」を学ぶ皆さんに任されています。
さて、そもそも「創造」とは何でしょう?
私はそれを「未来の当たり前を作る」ことと思っています。現代の社会、世界の美しさや魅力、違和感などを感じ取り、それを他者と共有できるものに「翻訳」する行為が「表現」で、それを繰り返しながら、未来において当たり前になるであろう「感覚」「価値観」「思考」「技術」などを今モゾモゾと創り始める。それを「創造」だと思っています。「創造」には、今この瞬間に有効なものから、1、2年の近しい未来に当たり前になるものや10年20年、中には100年たたないと当たり前にならないものもあります。未来の当たり前は今現在においては当たり前でないので、「創造」の中には簡単に理解されないことが多々あります。そのような「無理解」に耐え、諦めることなく粘り強く探求を続け、深めていく。そのような生き方を選んだ仲間と出会えるのが大学で、お互いを励まし合い、批評し合い、守り合い、研鑽を行うことになります。この関係は卒業後から始まる長い道に大きな支えとして重要さを増します。私たち大学は、そのような学生たちの学びと豊かな関係の創造を育み、見守り、即効性のある結果を求める社会からの防波堤になり、卒業後の人生を生き抜く体力を作り上げる責任があります。大学では、未知の海に飛び込むためのスタート台に立てるように、溺れない為の技術や早くやゆっくり泳ぐ技術、仲間に頼ること、様々な未知に出会った時の迷い方など、様々な分野のベーシックなことごとを学んで、身に付けてもらいます。飛び込みの本番は、大学を出る時です。目的地は本人にも分からないかもしれないが、終わりなき探求の遠泳がその時から始まります。学生時代の時間よりはるかに長い人生が待っています。その人生でも探究が成し遂げられるかわかりません。芸術の世界とはそんな時間感覚なんだと思います。
本学は2030年に創立150周年を迎えます。私たちは、今までの150年を見つめ直し、今後の150年を想像できるかが問われます。これから150年の間には、大きな災害や戦争などもあり得るでしょう。社会基盤がごっそり変わるほどの変化も来るかもしれません。そのような世界に芸術はどのように対応し、貢献するのか?戦争や紛争を回避するのに芸術は有効な手段になり得るのか?社会を再生するのに芸術は必要なのか?様々な事ごとに想像をめぐらし、過去の150年を見つめ直し、今後の私たちの未来を想像する必要があります。歴史ある本学にはそれができると思っています。
大学は、そのような過去の歴史との出会いももちろんですが、様々なタイプの表現者としてのアーティスト、音楽家、研究者である教員や、その活動を支える事務局、何よりも、同じ世界に飛び込んできた先輩や同級生との出会いがたっぷりあります。その出会いを楽しみながら、これから始まる未知の世界への冒険に、ワクワクしながら、準備し、トレーニングし研鑽し、体力作りして臨めるように学びましょう。重層的な歴史のある京都で、長き創造探究の歴史ある本学で、豊かな学生生活を送っていただけたらと願っています。
小山田 徹(こやまだ とおる) 略歴
1961年鹿児島市生まれ。1981年に京都市立芸術大学入学、日本画を学ぶ。在学中に友人たちとパフォーマンスグループdumb typeを立ち上げ、国内外での公演に数多く招かれる。活動の中で、メンバーのHIV感染とエイズ発症を機に、様々な社会活動と表現のありかとを試すことになり、1998年頃から「共有空間」の獲得をテーマに活動を行う。焚き火場など様々な人々が集い、交流する空間や時間を開発し、社会実装を試みている。2010年から本学美術学部彫刻専攻の教員に着任。2021年10月から2024年3月まで美術学部長。2025年4月から現職。